脳のメモリと外部脳の使い分け
昔、Evernoteがリリースされて日本でも便利なツールとして話題になった頃、
私は元々Yahooのメモ帳というオンラインサービスを使っていて、とても気に入っていた。
なぜならメモに頼った記憶の仕方をしていたから、なくならないメモ。整理されたメモ。
記憶力がない自分にとっては、このメモが私の知識だったの。
それを外部脳というようになったのが、Evernoteだった。
Evernoteにはなんでも入ってた
面倒じゃないか?って、全然面倒なんかじゃない。
覚える必要があるのかわからないようなものなんて山程あるし、
覚えられない複雑なものも山のようにある。
学生時代のテストじゃなければ、記憶の必要はあるのか?ってくらい。
私は記憶の持ち方が五感に頼ってるものが多くて、
景色、匂い、出来事、人、気温、そういうのにリンクしやすい。
だから机上の暗記するものは、何度も書いたり、あちこちに貼ったり、ストーリーにしたり、工夫が必要だったの。
覚えてて無駄な物はないと思ってたけど、ひとつリンクして考えてしまったのが
脳のメモリの上限
脳のメモリにバッファを持たせないと自由な発想ができないな、メモリが小さければHDにも余裕がなければ一時保存もできないな
なんて考えを写してたら、余分なことを覚えることはダメなことと捉えるようになった。
でも、ある日気がついた。
アイデアは記憶から作られる
なんでもかんでも外部脳に任せて、経験からにしか記憶しないと、発想の素材がなくなってしまうことに気がついたの。
発明とアイデアは不便から生まれる
これは小学生の頃、ドラえもんを見て気がついたこと。
だけど正確には、不便はきっかけであり、発明やアイデアはあくまでも記憶の合成なんだ。
そして記憶できないのは、心が関心をもってないからではないかと考えた。
要は、どう関心を向ければいいかが肝になるわけだから、相手に直接「どういう人間なのか、なにが好きなのか、なにを知ってるのか」聞いてみたらいいと思った。
好きなものはなんだかんだちゃんと覚える。
じゃあ好きになればいいし、好きになれることを探せばいい。
相手も関心を向けられてイヤな人はあんまりいないしね。・・・おかしな向け方じゃなければ(笑)
物も同じ。資格の勉強も同じ。
興味があるんだから学ぶんだから。
学生はほんと大変だよってほんと泣けてきます😭
アウトプットと体現化
そうやって記憶を溜め込み、忘れる前にアウトプットしていくと、経験と絡み、自分のものになる。
自分の哲学は人それぞれあるけど、気の合う哲人がいたとしてもまんまその人の考え方は受け入れられないのは、違う人生歩んでるんだし、時代も違うんだから当然。
だから、いろんな哲人の思想を学び、自分の経験や記憶の積み重ねで、自分の哲学が生まれる。
そして、不便と感じるサインで、それを合成してアイデアが生まれ、結果が自分の哲学を不動のものにしていくんだと思う。
まとめ
要は、外部脳は記憶の必要のないものだけ。あとはググればいい。他人の脳も含めてそれも外部脳。
自分の脳に必要なものは、ちゃんと記憶される。記憶したくなる。
大人っていいよなってほんと思います(笑)
記憶が苦手なほうなんだけど、暗記は苦手じゃない私が考える『脳のメモリと外部脳』のお話でした😊