書評『七つの原理』 第8章「コスモロジーの創生」丸山敏秋著

2022/11/21

現代において最も深刻な喪失は、生きる上での「拠り所」

自分もそれはかなり深刻に考えてる。

誰もが無意識レベルでで「拠り所」を探しているのにも関わらず、その拠り所として安心できるものがない。

人に求めれたら一番だと思うけど、どうして互いに求めているにも関わらず、互いに求められないのか。

自由の拡大や価値観の多様化に伴いとあるけど、そうは思わない。

自由の拡大は、選択肢を好きなものを選べる機会を増やしているし、

価値観の多様化は、それぞれのアイデンティティを認め合う社会になってる。

人と違うのは当たり前だし、否定されないことが大切。

それがかつての拠り所であった「正直、勤勉、親孝行、義理、礼節、廉恥、貞操…」を感じさせなくなった理由では到底思えません。

法人局方面長までもが、奥様に嘘隠し事すると講話で話していますしね。どの口が言うかと言われても反論してはいけません。

ちなみに、うちは嘘をつかない代わりに、過剰な期待をしない、人なんだからと寛容であることを前提に許すことにしています。

嘘つかなくちゃいけないようなことしなければいいだけだからね。そうするならそうすると言っておけばいい。それを良しとするのは、相手の課題であり、騙し欺き、相手に判断をさせまいとすることはいけません。それ以上の魅力があれば、いいんですから。正直さは魅力のひとつですよ。

それを、「アイデンティティ」といいます。

我が家のルールは、家族が仲良くありつづける為の「お約束」です。こどもも家族の一員なので、決定権も選択権もあります。うちは成人してるから余計にね。

他の家に比べて仲がいいのは、我慢しているからでも、自分を貫いているからでもなく、みんなでどうしたら良いかと話し合うからです。

夫婦のルールと家族のルールはしてはいないくても、関係してくる部分は大いにあります。

旦那様の魅力、奥様の魅力は、他の人にはわからないの同じように(なんでその人選んだ?とかあるでしょ?)、家族のルールも千差万別。嘘をつくのは良いとしている家庭もあるかもしれないし、なぜそこに至ったのかその詳細まではわからない。

ただ、夫婦は恋人のような曖昧な関係ではなく、家庭という小さな社会を形成され、こどもに安心できる場を作るためには「信頼関係」は必須です。

結婚前の恋人と同じように考えているから、別れるという選択が生まれる。

恋人夫婦が増えてることが、離婚を増やしていると思いませんか?

結婚は契約です。婚姻契約したでしょ?

浮気しても、借金地獄になっても、生涯この人を人生の伴侶にします。って宣言に変えたらわかりやすくていいのにね?笑

再)現代において最も深刻な喪失は、生きる上での「拠り所」

話がズレてしまったので、やり直しw

生きる上での拠り所として私が深刻に考えているのが、互いに心の拠り所を求めてるという点だな🤔

互いに求めてるなら相思相愛じゃん!って話なのに、この互いというのが人を選ぶ。

・・・なぜでしょ。

ここに、ギブギブ精神が関係しているのではないだろうか。

【私はこの人に心の拠り所として求めてる】に対して、相手が違う人に求めてる場合、合致しない。

でも、ひとりじゃなくてもいいのでは?と思う。

むしろ、人じゃないほうがいいのか?

だけど、人に理解してもらったり、話をしたりする関係はとても心身ともに良い影響をもたらすぞ。

それは人にしかできないことだと思うぞ。

心の拠り所に、なにを求めているんだろう。

私の場合、家族や母方の親戚は不動の信頼がある。なにかおかしなことがあっても、きっとなにかあったんだと思う絶大な信頼。相手を否定しないし、全て許容する。

友人の場合は違うかも。もっとクールかも。だって、友達は自分のステージと共に変わってきたし、これからもきっと変わる。

なぜ一緒のステージにならないのか。なにを一番大切にしているかが違うからだと思う。そして、そこに善悪はない。

おかげさまなのか、私の周りには「なんでもあり」の勝手気ままな刹那的、享楽的な生き方している人はいないし、みんな自分の正義を持ってると思う。

敏秋さんはえらく悲観的だけど、そういう人が周りに多いのかなぁ。

・・・人は鏡だから気をつけてね(´⊙ω⊙`) 私も気をつけるね

快楽主義

自殺する人を責めるな🤦‍♀️ 人間が本能から外れた選択をする時、すでにそれは病なのだ。そうなった要因に問題があるのであり、その人ではない。

本質を見極めることが大切って自分でも言うてるでしょ。病人に身を改めよと責めるような人にだけはなってはいけない。福祉も少し学びに入れましょうね。

本題

快楽主義は、ちょっと意味が変わってしまうので心配ですが、本来の快楽主義者は「快楽を排除し必要最低限の生活を送る思想の元、生きる人」ね。ややこしいよね。私もそう思う😅

60年代の学生闘争は、私にしたら自分勝手の最高潮よ。

自分の思想が正しいと信じ、人を巻き込み、たくさんの人が死んだり、勉強の機会を奪われた。

三島由紀夫は、命をかけて自分んの理想である日本人の正しい道を叫んだけど、それはね。自分を突き通した。死ぬ覚悟で理想を負ったんだと思う。

良い悪いでは言えない。その時代に生きてないからソースが足りない。

でも、四六時中叫んでたわけじゃない。

渋谷のギャルも、四六時中ハッチャケてるわけでもない。

どちらも一面。

不道徳なギャルもいるけど、ギャルは己を大切にするから芯が強い。人が困ってたら見捨てず手を差し伸べるのに勇気は必要ない。もってるもん。勇気。

不道徳なヤンキーもいたけど、友達や先輩に助けられてる恩義に忠誠心が強い。

そこに一面は全然関係ないの。むしろ、一面ばかりが良くて、人が倒れてようが、困ってる人がいようが、他人事と目もくれない人の多さはYouTube見ててもたくさんいる。

勇者が人助けをしているのを称賛してるけど、私が困ってた時は必ず道ゆく見ず知らずの人が助けてくれる。

一見してどんな人なのかなんて、本当に大切な部分はわからないってこと。

刹那的な一時の快楽を求めるのは確かにしょーもないけど、たぶん本人もしょーもないってわかってる。

てか、いつか気づく。

世の中をよくしようなんて、傲慢だ。

私は世の中をよくしようなんて思ってない。

優しい人が多いから、優しい人を素晴らしいことだと言ってあげたいだけ。そこから生まれるのは優しい社会だと思う。

自分の周りを幸せにできない人が、もっと広い社会を幸せにはできないと思うの。

まずは足元からだと思う。そこから少しずつ広げていくしかない。世の中は案外広いんだ。

若い世代は勉強中だから心配するな。いま大人を見て、良いも悪くもゆっくり学んでる。

問題は、私たち世代。社会を担っている世代だ。

まず、私たちがその世代だと自覚している人の少なさが異常。いつまでも大人の庇護の中のこどものまま。

年配者はこどもの世代はなにしとるんだといい、大人は若い奴がといい、子供は大人はといい。

えっと、皆さん大丈夫ですかー?と、聞きたい。

特に、敏秋さんに言いたいのは、倫理を学んでいる人たちは若い人より壮年者が多い。その人たちになに言ってますのん。

んまーーーーいいですけど。それならそのように対応するだけなので。

敏雄さんも、年齢が上がるほどに柔軟さが消え、指導者になり、学ばなくなった。気づかなくなった。感じなくなったように見える。

誰しもがきっとそうなるもの。

そうなりたくないと私は思うけど、いつまでも学び続けていたいと思うけど、そうなってしまうのかなぁ。

そんな気がする。

フラットに、謙虚に、心掛けていたいね。いつまでも。

だれもが宇宙と繋がっている

その通り。どんな人も。どんな現象も。

因果応報って悪いことに使われがちだけど、ものすごくシンプルな大前提。

自分のできることを淡々とすればいい。それが使命だと思う。

よく「思う」って私あえて使うんだけどさ。それは「私が」っていう意味を含んでるのよね。

丸山さんに叱られるかもしれないけど、自分の意見が正しいとは思っていると大切な局面で選択を見誤るぞといいたい。

唯我独尊。誰もが己の物語の主役であり、夫婦愛和子女名優縦横十字の立場が違えば意見も変わる。

まず、自分の立場での意見のひとつとして意見を発し、それを参考に策定するもの。

敏雄さんの生きた当時と考え方が違うのはわかるけど、敏秋さんはたくさん勉強されているんだから、ちゃんと本質を解読し説明してね。

じゃないと、納得いかない。

まず、渋谷に行き人との対話から学びましょう!ネットも種類を選ばずたくさん記事を読み、コメントを読み、考察して本心を探りましょう!

きっとそれはやってないよね?

偏るよ?

まあいいけど。(他人事w

哲学は時代と共に成長してる。変化してる。深みを探してるようで、横の流れで変異する。

その中でも変わらないものは、実体があるものだけだと思う。

自然、人、物、関わり、空気、雰囲気。

和を以て貴しとなす

これはいまも大切にされている日本人の心だと思う。

聖徳太子が作ったとされる何世紀も前の言葉なのにね。

この言葉を知らない人は小学校からやり直してこいw

でもね、こうやって十七条憲法として決めないと、できないから決めているのよ。

人は、決めないと和を以てない。

ご縁に感謝って言葉あるじゃん? 私も使うけど、実はそんなものがあると思ってないので感謝してない(笑)

会うべくして会ってるし、目的もなく繋がるだけなら意味はない。無駄な人脈は時間を搾取されるだけだ。

ご縁も「え、別にお礼言われるようなことしたつもりないけど」って思ってると思う(笑)

ご縁というものも不確かで、世界には80億人もあるのに80億分の1の確率で・・・なんていうのも、無理矢理確率に落とし込んでるだけで、実際私が会える場は日本の愛知県内だけだ。

県外で会えたとしても通りすがりに近いし、町内ですら知らない人のほうが多い。

それてそれが「当たり前」であり、そもそも確率の母数がおかしいねん。

同じ輪にいる縁というのなんて、実は縁なんてものじゃない。共通の趣味、共通の思想、共通の友人、どれかに当てはまった人がいるだけのこと。

その中からで一番気の合う人を選び、友人に加えるだけのこと。

ということは、そもそも選択肢が少ない。

さらに、選択数が絶対的に少ない。

男は35億いるかもしれないけど、姉さん。会って話す人なんてのはそんなにいないよ…

出会い系アプリで会える人は「出会い系アプリを利用している人」という共通点から始まるのに、そんなやつはいやだとか笑えるけど、事実、何言ってんだ?っていう人はいる。

そして私の結論はこうだ。

「平和だなぁ。。。😊」

全一統体の原理と人生神劇の対比

我がために。で括るって、我儘やなwww

真面目に生きて、倫理を熱演する時ってあるけど、最後は我儘で締めるんか…(´⊙ω⊙`)ち、ちがうような…

だから、我儘でええねんって言ってるやーん。ほらみー。

特に、日本人は我儘でおらなかん!ナンチャッテ謙虚という名の卑下にまみれてるんだから〜。

そして、因果応報から加減を学べ!他者の立場に立てるよう視野を増やせってばよ。

まあいいけど(こう言ってもみんなできないんでしょうから

敏雄と敏秋の違い

敏雄の全一統体の原理の意味と、敏秋の全一統体の原理の解釈が、どうも腑に落ちない。

全一統体の原理は、そもそも敏雄が発見したものではなくて、敏雄が学んだ中にある仏教を基にして考えられていると私は思います。日本人ですからね。

そして、これも世界中の哲学神学宗教に重なっているように思います。

故に、これらは古典哲学から変わっていないと思います。

全一の気づき

私は中学生の時、経験や書籍を基に理論的に考えた結果、「全は一。一は全」と気づいたけど、そんなに大したことでもないかと思うが。

・・・別のものを指してるのか?

全は一、一は全という考え方は、いまも中学生でもわかると思う。

鋼の錬金術士って漫画でも重要なキーワードとして使われているし、人生とは、自分とはと考えているいまの子供たちにとっても身近な言葉よ。

宗教に直結しないのは、宗教ではないとわかっているからだと思う。神はいないしな。

影響を受けた教科書は、図書館にもたくさんあるし、仏教系学校、キリスト系学校とでは、宗教と哲学の授業があるし、公立でも小学校では道徳を、高校では倫理の授業もあり、考えさせるということをしているしな。

私の学生の時は倫理の授業はなかったとはいえ、小学生の頃の道徳と、理不尽な体験の数々、名古屋市天文学部だったこともあってか、中学生の時はめちゃくちゃ考えた。元々、幼稚園児のときも「なぜ私はここに来るのか」とか考えてる子だっただけに他の子とは違っていたようだけど、私にとってはそれが普通であり、自然な疑問。

自分は変わってるかもしれないけど、特出した存在とは思えない。ADHDの確率と同じように、他にも同じような子は何人もいると思う。

ADHDがどれほどの影響があるのかわからないけど、順序立ててくれないと理解するのに苦労する。

論理的思考はすごいねと言われるけれど、こうなると面倒なだけ。細部まで気にしないと理解できなかったりするから、順序立てて組み立て直す中で、細部に気づく性質。

感情的思考は「すごい!」って言うけど、論理的思考の人は感情的思考の人のもつ手札の少なさが「すごいよ!」って思ってるけど、【どちらもすごいことではなくただの特性】と思ってるから、言わないだけ。

どちらかというと、なれないものへの憧れに似た感じってだけ。

てか、すごいって言葉はイラッとするからイヤじゃ。

凄い!の安売りは、相手にとって本当に凄いと感銘を受けたんだと思えなくするので、ヤメテー。

物理と哲学

よく、式から答えを出すのが数学。答えから式を作るのが物理。と人にいうけど、哲学は根底だからどちらもあるよね。

でもどちらかと言えば、物理に近い。

なぜなら「仮説を立てる」から。

哲学も仮説を立てる。そして実験を繰り返して、立証する。ね?この手順は物理と一緒よね?

だから、ロジカルな人が哲学を考えると実験の繰り返しだし、感情的思考の人が哲学を考えると間違えて宗教的でファンタジーな世界に行ってしまうことが多い。

ファンタジーな解釈も決して間違ってはいないが、立証できないと証明できない。その立証も、ソースデータ元が明確で信用できる機関でないと証明にならないのだ。

デヴィッド・ボームの実験

デヴィッド・ジョーゼフ・ボーム(David Joseph Bohm、ヘブライ語: דייוויד ג’וֹזף בוֹהם, דוד יוֹסף בוֹהם‎‎、1917年12月20日 – 1992年10月27日)は、理論物理学、哲学、神経心理学およびマンハッタン計画に大きな影響を及ぼした、アメリカ合衆国の物理学者である。

Widepedea

理論物理学、哲学、神経心理学。

もはや最強なデヴィッド・ボーム。天才か?

グリセリンとインクの実験の動画があれば一番だったんだけど、それを証明する動画が見つからない🤔なんでや

でも、この実験は見たかったなぁ。

このデヴィッド・ボームの本はAmazonにも何種もあったけど、一度読んでみたいな😊

日本でのサイエンスブームは、私も見てたけど、この人の記憶はないなぁ。

まず、名前が覚え切らん🥺

それでも、内容は一度見たら記憶に残ってるはずだけど、この実験の記憶はない。

・・・不勉強の致すところでございます(笑)

こうやって、世界の賢者の記事や書籍を聞くと、世の中頭いい人いっぱいだなぁ✨😊✨って

嬉しくなっちゃう♡

遠くて及ばん人ばかりで、世界は広いなぁ〜✨ってなります😂

・・・いや、だから謙虚を学べよw

敏雄さんは提唱したけど、立証してないでしょw

コスモロジーを先に提唱したのは仏教や数々の哲学者が先でしょw

もひとついうなら、喪失したと言ってるのは昔から新興宗教が先でしょw

理事長に一言

何度か登壇されたお話を直接聞いたことがあるけど、お話しされる内容によっては専門家でもないにも関わらず偏った見方(それを偏見という)が少し目につきます。

丸山敏雄のくらしみちについてはトップの専門家でありますが、それ以外に関しては我々と同じ知見を広げた学徒であります。

法人会には、知識あるプロフェッショナルも多く、その中には職業倫理を持っている方もたくさんいらっしゃいます。

時代は代わり、幸福を求めて入会されているばかりでなく、更なる深み、高みを求め、丸山哲学を近代哲学のひとつとして学んでいる方も多くいらっしゃいます。

我々の視点に立つことはできないかと存じますが、謙虚な姿勢で、丸山敏雄の生涯をかけた研究を本質をそのままに現代に正しく置き換え、後世に伝えていっていただけたらと思います。

ま、これもひとりの意見です。

しかも、これまで四年間学んできたうえで、現段階に於ける意見です。

17箇条は、挨拶やから始まり約束を守るなど、みんなやってる当たり前のことばかりです。

これらができていない人が多いのは、両親や祖父母に幼少時から教育されていないからです。

昔、麻生さんが民度が高いと日本人を表しましたが、できてないから恥ずかしいですね。

比べる対象によればできてるかもしれません。

でも、日本は理想の自国と比べれば、できていないですね。確かに恥を知りません。

しかし、できていないことを憂うのではなく、教育していくべきとした丸山敏雄は政治家になれば変わっただろうになと思います。

当時の政治家はそれがきっとままならなかったのだと思います。

日本を変えようとするからには、声を大きくすべきで、声を大きくするには、その立場になるか協力者を立てるかすることが【実践】ではないでしょうか。

理事長は、何年先まで見えていらっしゃいますか?

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