書評『七つの原理』 第7章「物境不離の原理」丸山敏秋著

2022/11/16

これね〜〜〜!!!

中学の時に気づいた瞬間、一番怖くなったのコレ!!!

よく「意味がわからん」って言われるんだけど、なにがわからんのかこっちがわからんっいつも思うw

この本に書かれてる例は本当にそれで、

「物が物として在るのはその場所(空間)の占拠があるから」

これはわかる?

三次元で考えて、その場所(空間)を占めてるから、物が存在するのであり、占めてないものは存在できないの。

これ、普段意識してないだけで極々当たり前のこと言ってるのよ?

その当たり前のことの認識というのが理解されにくいのかもしれないけど。

例えば、いまこのブログを書いてる私の存在によって、デスクの前の椅子の上の空間は私に占拠されてるの。

わかりやすいね?

で、私はパソコンのキーボードを打ってるんだけど、私とキーボードは接してるけどそこには境界線が在るでしょ?

そう。指の腹とキーボードの表面がそれぞれの境界線。

こうやって、物と物は境界線があり、それを強弱関係なく接することで他の物に関与する。

ここまでは、目の前のことを細かく見たわけなんだけど、目に見えない物もある。

Wi-Fiが飛んでるのは目には見えないけど、空間を占拠しているからその電波に関与して、インターネットに接続できる。

人の気配も見えないけど、人からなにか出てるんだと思う。

で、ここからはイメージを使うんだけど、

私の周りには部屋があり、家がある。そして地域、国、地球がある。そして、宇宙がある。

ここまではわかるよね?

境界線もわかるよね?

じゃあ宇宙の周りはなにが在るのか。

いろいろ言われてるよね?無が広がるとか丸い球体だから延々と繋がってるとか。

でも、向こうにではなく、周り。境界線はどこなのかという話。

境界線がないものは存在を証明できない。

つまり、宇宙は存在を証明できない。

てことは、宇宙の中にある地球・国・地域・家・部屋・私も存在を証明できないことになる。

なのに、こうやって考えてる私がいるわけよ。

「気持ちわるッッッ!!!!」

同じように、時間という概念も同様のことが言える。

「在り得ないことが、事実事象として存在してる中に、自分が存在している」

と、いうのが私の中学生のときに最も考えると震えることだったんですね〜。

結論、そこは考えないということにした。

大人になって数々の哲学書から得た最良の答えは、カントの『神の領域であるから、人間には理解できない』という考え方。

DVDを眺めても映像が見えないように、DVDレコーダーを通すと見えるといった「ナニカ」が必要であり、これを人は持っていないという理論。

おもしろいねぇ✨😊✨

古典哲学のプルトンの『イデア論』もとてもおもしろい着想で魅力的に写ったけど、想像の話をしてるんじゃないから面白い。

あくまでも、【存在】を【証明】しているのは【自分】だということ。

そしてその【自分】を証明することは【できない】ということ。

要は、証明できないってことは、私の夢かもしれないし、妄想かもしれないってことよ。

【物はこの世の借り物】って私よくいうでしょ?

証明できない物の所有物なんて、それすら幻ほどの価値しかない。あの世に持っていけないし。

喜びも一瞬だし、苦しさも時の流れの中では一瞬。それを選ぶことなくどれも丁寧に接しているだけ。

辛さや苦しさなんてもう、生涯大切にするように人はプログラムされてる。

ここから得ること

まさに「在り得ないことが、事実事象として存在してる中に、自分が存在している」ということに気づくことによって、人生を俯瞰して見ることができる。

どんな苦難が起きても「なるほど〜私の人生の中にこういうこともあるのか〜」とかね。

それで納得できるの?って、できるわけないこともそりゃあるさ。

でも、起きた事象は変えられない。だから受けるしかないのよ。

変えることができるのは『じゃあ、こうしよう』。先の行動。未来だけだ。

大きなものの見方がわかったら、次は小さなものの見方を考える

アインシュタインの相対性理論のように、光の速さや宇宙の広さを考えて、自分よりも大きなモノの見方を考えたら、次は小さなモノについて考えるのが、歴史に於いてもどうやら順序みたいね。

大きなものは∞だけど、小さなものって終わりがあると思われてるけど、果たしてどうかな?って思うのは自然な流れじゃないかな?

【私】から広がっていったわけだから、逆順に【私】から内側に向かって分解していく。

すぐ心を探すことになるけど🤣

まあ、物理的に心の場所を考えると脳になると思うんだけど、そこからがまた複雑よね。心と存在と体を全て合わせたものが【私】になるわけだから、手足は切っても存在してるから除外しようとか、考えたりできるけど、なにを以ってして【私】と定義づけるところから考えないといけない。

宇宙なんかよりよっぽどややこしいわ。

存在大調和への道

七つの原理を読んでるわけだから、この境界に対しての考え方は同一だとして、どう「くらしみち」にすり合わせるのかがポイント。

一輪のバラを空き缶に挿すか、綺麗な花瓶に挿すかで、「存在の質」が変わってくる

七つの原理

存在の質!!!まあ!おもしろい!

庭石の置き方も、置き方によって存在の質が変わる。…これ、バラの例えが先じゃね?笑

確かに、美しさについてはバランスとか黄金比とかイデアとかいろんな【理由】は聞くけど、存在の質なんてのは新たな着想だなぁ(´⊙ω⊙`)

私の考えは、存在しているもの全て在るべくして在ると思ってるのよ。

人間が自然を壊すのも自然の摂理ってね。早く自分ごとで地球規模で壊していることにひとりひとり気がつこうねって思ってるけど、それも結果であり、歴史の一端であり、進化の一端かなって。

シュプレヒコールが高まらないと、民衆は動かん。

民主主義の悪いところも良いところも、世論が我々の向かってる方向は正しい道なのかどうかを決める。策定するのは国だけど、行動するのは民衆。

これも、調和の一種だと思う。

人間を自然の一部と考えず、別物として捉える人のなんと多いことか。

私は人も自然の作ったモノだと思ってる。考える脳、自在に動かせる手足を持った動物だと思う。

でも、空は飛べないし、速くも走れない。人によって能力差はあるし、得手があれば不得手もある。

その程度の動物だと思う。

賢いかと思ったらバカだし、バカだと思ったら賢かったりとかすらある。

単一で完全な存在なんてない。

調和を以って、完成されたものなんだと思うんだ。

まあ、だれでもわかってることだと思うけど😊

人の進化は、人と支え合ってきたからこそ成し得た進化なんだから、助けを求めるのも、助けるのも、人として自然なことなんだよ

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【苦難】についてのユキエの主観

私、苦難ってあんまり思ったことがないの。

体が火傷で覆われても、ビキニが着れんやないかってだけだし、変質者に好かれる怖い体験ばかりしてても、こういう星の下に生まれてくる数%のうちのひとりって解釈してるし。

まあ、それはそれで人格形成に大きく影響してるとは思うけど、人によっては苦難でも苦難と捉えるかはその人次第なんよ。ということが言いたい。

それは、中学生の時からやたら俯瞰したモノの見方するからなのかもしれないけど。

だから苦難に対して思うのは、『イマ目の前で起きてる難題』を苦難っていうんじゃないかな。

難題っていうくらいだから、質問形式なんだよ。

どうするか、選択肢があるもの。

どうすればいいのかわからんってものは、よく考えたり、人に聞いたり、ネットや書籍で前例やいろんなケースを調べたり、いくつもパターンを模索して、そしてまた考える。

答えなんて結構あっさりみつかったりするんだけど、ここでつまづくのがこれ。

「やりたくない」

これでしょ?

選択肢はもう二択よ?

「やるか」「やらないか」

やらないを選ぶ理由考えるくらいなら、やる手順を考えなよ。

わからなきゃ飛び込め!もうわからん!ってツッコめ!

そしたら、停滞していた苦難の回答が出る。

神様は、越えられない壁は差し出さない

成長は、超えないとできない。だから、都合よく神様が目の前に壁をくださってると本気で思ってる。

神様信じてるとかいう話じゃなくて、目に見えないなにかの意思でもいいよ。

越えられない壁はない。

ちょっと苦難福門に通じた考え方だね。

ここで人に伝えたいのがさ。

自分ひとりで生きてるなんてこと、思いこまないでほしいな。

苦難はひとりで越える必要はないんだよ。

上でもそう言ってるじゃん?人は支え合い進化してきたって。

だから、ひとりで背負わなくていいの。助けてほしい人と、助けてくれる人は違うかもしれないけど、それが乗り越えるべき壁なんだと思う。

どこに乗り越えるべき壁があるか、きっとその人の課題なんだと思う。

人を頼ると、冷たいって余計に冷え込み追い込まれるの怖いよね。

私もこういってて人に頼るのはとても怖いし、とても苦手。

しんどいよね。

でも、それが乗り越えるべき課題ということなのよ。

人に頼らないならどうするか考える時って神様が言ってるのかもしれないよ?

人に頼るならいまだって言ってるのかもしれない。

ひとつずつ、選択していけばいい。

だれもが自分のことで忙しいね。

もっと優しい社会になるには、人の心に余裕が必要だね。

その一助となるのが、きっとあなたなんだよ。

ユキエの天職

そんな烏滸がましいこと考えてないけどね。

でも、だれかの役に立ちたいって思ってる、心優しく温かい人は星の数ほどいる。

その人たちは、どうしたら辛い思いをしている人を助けられるのか、こどもの虐待を防いだり、DVから救ったり、貧困から守れたりするのか、方法が壮大すぎてわからないんだよ。

その方法のひとつを、選択の一つとして、提示できるように準備を整えてあげたいんだ。

それぞれの分野に分けて、おなじ思いの人がいろんな方法で行動しているから、自分に合った場所で活躍したらいいのよ。

私は、私と同じ考えの元、同じ方法で行動してる人を知らない。

スタッフに、あなたは優しくて、心が温かい。それは素晴らしいことなんですよ。

って、伝えたいの。

まーーーーーーむずかしいよ😢

だけど、そのむずかしいことに挑戦していきたい。

そのむずかしいと思う先に、理想があるから。

優しい人に、心が優しい人だねって伝えたい。がんばった人に、がんばってるね!って伝えたい。

その素敵な心を行動に移した人みんな、全肯定したいのだ。

だから、方法が違って、考え方が多少違っても、働いてる人はそれぞれ素敵だと思うのだ。

でも、、、天職って言葉はやっぱ烏滸がましい。おこがましいって読むのよ。

それは自分でいう言葉ではなく、人に贈るために使う言葉じゃないかな?と思うから🤔

『物』は生きるか死ぬがある

物についての考え方は、旧家に嫁いでから変わりました😃

なぜって、うちの実家と同様で、使わないものが場所を占拠しているんだもの。

物との対話がなされとらんッ!!! って若き日の嫁はお怒りになったんですね。

で、自分を顧みたら、、、すぐ汚部屋になるという現実(笑)

これはいかん。と思って、考えたり、調べたりしているうちに気づいたのが、

物の役割について。

愛用の本当の意味。

まず、物は役割をもって生まれてきたということ。活かして初めて意味を持つということ。これについては、安い物買いは止めました。元々、自分の持ち物に対して愛を向けるタイプなので、質の良い物を選び、手入れし愛でてあげると、自分がおばあちゃんのバッグが欲しかったように孫まで使えるんじゃないかなと思って、そういうのを選んでます。

車もどんな車もこだわらないけど、自分の車が一番好き。だから、大切にすること前提に選ばせてもらうけどね😂

『愛用』の本当の意味を知らない人多すぎやろ。昔から使ってる手入れされてないカーテン。財布や椅子。文房具。コートにドレス。手入れちゃんとしてますか?愛用ってのは、愛でるから愛用。手入れしてるから愛でるんよ。いいこいいこって拭くの。そういう時間が、自分を落ち着ける優雅な時間って知ってほしいなと思います😃

実家の物置小屋を掃除していたお義母さんが「ユキエちゃんこれ嘉規がこどもの頃使ってたやつなんだけど、要る?」って出してきたのは、空気の抜けたボールと、割れた水槽。

「・・・・・・ゴミやん」

お義母さん言われて気づいて、慌てて持ってったが、ちゃんと捨てたのであろうか。。。

うちのマミーでいうなら、冷蔵庫からは平成も数年経ってるのに昭和賞味期限の調味料とか健康食品とかな(笑)

買って満足するタイプなので、あるあるでした😂

って、笑い事やないwww

お金にも生き死にあんねんwww

実母と義母のおかげで、目が覚めた(笑)

それから、高価な家具ばかり買う友人が、お母さんの話。
壁を殴って穴を開けてしまった時に、「小さな家だけどお父さんががんばって立ててくれた家を壊さないで…」って泣いちゃったんだって。

その友人は優しい人だから、お母さんを泣かせてしまったことをとても後悔しててさ。それから、家や物を大切にするようになったんだって。いいこでしょ。

高価な家具を選ぶのは、良い物はしっかりしてるし飽きないし文句も出ないということ。飽きたら売ったらまた使ってくれる人がいるからだって。

素敵な考え方だなって思って、その影響もあるよ😊

物は記憶する。そして記憶に残る

おばあちゃんの形見のエピソードのように、愛でた物は状態も良く、思い出と一緒に大切な人に喜んで使ってもらえる。

これが、物を大切にするということ。愛用の本当の意味です!

まあマミー達の世代はね、消費社会だったからね。

うちらの世代はミニマリズムです。本当に必要な物を大切に手入れし扱い、空間を贅沢に使う。掃除の手間を省き、時間を贅沢に使う。

昔は物が贅沢の象徴だったのに代わり、時間や空間が贅沢になったというだけです😊

てか、もっと昔は少ない物で生活してたと思うから、古い考え方に戻ったのかもね🤔

今日も長くなりました!

「物境不離の原理」、とても基礎的でおもしろかったです!😆✨