自己受容と尊己及人
私が思うに、尊己及人は自己受容のもっともたるところだと思う。
自己受容・尊己及人と利己的との違いは、存在そのものを受け入れるの自己受容と、行動や外見など理由を以って自分を優先させるが利己的であると分けられます。
これは、ユングの自己実現に通ずることですが、『自分を認め、受け入れ、実現させる』ことを指しています。
例えば、私は『べき論』に対してそれは良くないと言い続けていますが、自分自身かなり『べき論』を持っています。
ですが、それも『私』であることが、私らしさを指します。
ユングの『自我』と丸山敏雄の『尊己及人』
私の持ってるユングの本は『自我と無意識』という本なんですが、耳が痛い痛い😅
「人を操作しよう』という意識はなかったけど、してるわ😨って思い出した。
人を『思い通りにしよう』。丸山敏雄でいう『我儘』というものがそれなわけですね。
そのフラストレーションを私がアクティングアウト(行動化)が、過食や貪眠とかいった現実逃避だね、いまは。
しかし、それは解決には縁遠いじゃん?
大人になったら、体は成熟してるわけだから、精神的にも大人にならないといけないと思うんだよね。
となると、ユングでいう『自我の確立』ができるようになるのが理想なんだよね。
私は無意識に『思い通りにする』に強迫観念すらあったのかもしれない。
なにを焦ってるのか。そこに私の経験が反映されてるように思う。粗末に扱われてると感じたり、大切に扱われない惨めな想いをしてきたことも関係があるかもしれない。
いくつか思いつくことはあるけど、それに対しての耐性が欠落してるというか、逆に過剰反応するとしたら筋が通る。
壮年期になると感情的になるのは、ホルモンのせいと思ってたけど、それなら全員そうならねばならないわけだから、案外ホルモンは補助的な面しかなくて、脳の問題なのかもね。
心理的な反応は、睡眠や体調で対応できるものが多い。
睡眠や食事の影響は心の余裕につながり、心の余裕はヒトモノコトを許したり許せなかったりするからね。
自己制御
コントロールできるのは、結局『自分』だけだと思うんだ。
人は思い通りにならないし、制御できない。
自然も思い通りにならないし、制御できない。
それへ無意識的に、自分がそれを選んでるからなんだ。
私のこども時代は、父親の理不尽な暴力、学校でのイジメ、大人からの性的暴力、夜は母が遊びに行って妹と2人だったり、貧乏だったから服も変なのばかり(でもママはお洒落さん)だったりね。
そういう星の下なのねと思ってたし、自分が不幸だなんて思ったことはないけど、理不尽だと思ったことはいっぱいあったけど。
それでも、自分の筋が通った行動に誇りを持ってたし、思いを塞がない自分の勇気に自信があったから、腐ってなかったかな。
まーほんとにいま思えば本当に理不尽な担任ばかりだったしね!
地域も決していいと言える地域じゃなかった。
そんな中で色々考え、本から学び、ゲームや漫画からも学び、小さな幸せも見逃さず、熟考に熟考を重ねた結果を突き通したことが、私の軸なんだと思う。
時々、ブレないね〜って言われるけど、
そりゃブレないわよね😊必死に生きて、人生掛けてきたんだから。
幼稚園児の頃から哲学脳でさ。
「なぜ、私はママから離され、ここ(幼稚園)でなにをすればいいんだろう…」
初めて幼稚園に行った時、そう考えたのを覚えてる。
妹を守らなきゃ。なんとかして家に帰らなきゃ。
まずは様子を見よう。
幼稚園児でも、ここまで考えれるんだよ。
小さな頃の記憶は2.3歳くらいからあるの。
どんな私も誇らしい
なんでもそれなりに出来るし、やろうと思えば時間さえもらえればやり切ることができる万能感は、事実から基づいてるんだけど、一般的なことを知らなかったりする。
構図が見えないもの、仕組みがわからないこと、自分がどこのポイントにいるかわからないことに対して、警戒心が強く、見えるまで安心できない。
その感覚が結構過敏なほう。
神経質なのもそれに由来するんじゃないかな。
でも、普通といったことがわからない。
考えなくていいことも分別もつかない。
昔は、
「なんでできないの?やらないからでしょ?バカなの?」
本気でそう思ってたし、
「使えないやつだな」とか「役立たずだな」とか、いまも心のどこかで思ってるんだと思う。
でもそれは自分にも刺さってるからこそ、人と人のもつ関係性が人類をここまで進化させたという結論に結びついた。
「私はここでは使えないし、ここでは役立たずだけど、別の面なら最強だよ」
これは他の人も同じだった。
同じレベルじゃないから、許容量は違うかもしれない。
私に無い「人のできる部分」だけを見て尊重してきたけど、それも違うと最近思ったんど。
全て「そりゃそうだ」。いまは淡々とそう思う。
だって、当たり前のことだから。
別の人格、環境、パーツの数は同じなのに顔のつくりですら揃わないんだから、違ってて当たり前。
良いも悪いもない。ただそれだけってこと。
私自身の特性も、良いも悪いもないと思ってる。ただそれだけってこと。
時間にルーズだから、時間より早く辿り着くのも、ただそれだけのこと。
好奇心が偏ってるから、勉強も好きだけど、ただそれだけってこと。
どのこどもも愛で満たされてほしいと思い行動するのも、ただそれだけってこと。
良い悪いなんて区別はそこに必要ない。
私自身、こうなりたい、そうなりたくないはいい。
だけど、周りや社会に対しては行動以外で影響されることはできない。そしてそれが影響するかどうかは、コントロールできないということ。
依存
人との関係性は『依存』は悪いことではないと思う。
だけど、度を越した依存は相手を苦しめ、自分の思った通りにならない。
なんでも度を越したら毒になる。
依存の対義語は自立ではないと思う。
そうであってはいけないと思う。
依存の反対は、きっと不要なんだと思う。
信頼できる人は、生きていく上で必要。
甘やかされて常識のない大人になるような子は、母親に依存している偏った関係。
こどもは目まぐるしく成長するのに、いくつになってもボタンをつけてあげてるようじゃ、ママがいないと着替えれないこどもになる。
失敗も、ケンカも、怪我も、静かに受け入れ、挑戦を見守りがんばりを認め、応援し続ける存在であることが、ママなんじゃないかな。
「なぜ?」「どうして?」に答えを教え、親がこどもにとってどう映るのかのではなく、
「どうしてだろう?」「○○ちゃんはどう思う?」
これが見守り、支えるということ。
それは、親子の愛があって成せると思うんだ😌
だから、親子以外はちょっとむずかしいかもしれない。
母子の愛は、アガペーだから。
みんながそうじゃないった声も聞く。
それはね、母親が母になれなかったのかもしれない。それまでの人生の中で環境に恵まれなかったのかもしれない。
母子の繋がり方を、だれもが母からしか学べない。良い見本だったかもしれないけど、ほとんどが反面教師かもしれないと思う。
全てじゃないけど、足りてないところは反面教師となるかもしれないし、それを当然の事と思うかもしれないし、意識すらせず同じことをしてしまうかもしれない。
大人なのにね、みんな精神面ではこどもみたいなの。
大人としての、誇りを忘れてしまった人がとても多い。
それとね、みんな母になるということを教えてもらってないの。だから、模索してる人もとても多いし、模索したままこどもの大切な時期を終わらせてしまう人もたくさんいる。
大人は精神面で大人になれるよう、成長していかないとダメだよ。幼児が親になっても誰も幸せになれない。
例えペルソナだとしても。
年遅かれ早かれ、老いた時に精神面でまたこどもに戻っていくから。
『男は少年の心を持て』と言ったのは男性でしょ。それは男性側の一方的な主観でしょ?
日本中で、世界中で、そんなこと本気で思ってる女性なんていないから。おめえのママじゃねえから。って思われてるから😮💨バカすぎ。くだらない言い訳=3
地に足つけろ。バカ者め。
いかん。
眠さが。。。