書評『七つの原理』 第2章「発顕還元の原理」① 丸山敏秋著

2022/10/30

二元論。

物事はすべて振り子と同じように、相反する二つの方向の間を動いて進むのです。一方は「発顕」の方向、もう一方は「還元」の方向。二つの方向を交互に運動していることを「発顕還元の原理」と呼びます。

七つの原理「発顕還元の原理」

始まれば終わる。

基本の二元論です。

中国の陰陽思想、儒教の老師、アーリア人から始まった太古の宗教であり、宗教の祖となるゾロアスター教が二元論を唱えてきた。

中国ではその後、五行説とか様々な変化をしていくんだけど、すべてを二元論にまとめるには無理が生じてくる。

二元論にまとめれるものは多い。くらいにしてくれるといい。

なぜならば、私としてはみんなに伝えたい考え方なんだけど、二元論にまとめると争いが起きがちなんだよ。

男と女。正義と悪。加害者と被害者。自分と他人。白人とそれ以外とかね。

私は二元論を原則という捉え方をしてる。

粗方は二元論でまとめられるのは事実だと思う。現象は、現れ、消えていく。シンプルだし、ほとんどのものが該当する。

大切な人とは特別な関係が始まってしまうと、いつかは終わってしまう。始めなきゃ終わらないで長く続く。

これは好きな人ができると大体こうなる。

じゃあどうすれば回避できるか。

それはね、別のものになればいい。

恋人という特別な関係のまま結婚生活するから、終わってしまうのよ。結婚したなら家族になればいいだけなのに。

家族は次々と変わる恋人とは違う。人生を共に生きる人のこと。

そこに昇華できず、相手を恋人と勘違いするから離婚する。

まあ冷たいようだけど、そのへんは各自の考えの元、好きにやってればいいけどね。

要するに、頃合いを見て別の関係性にすることで回避できるってこと。

丸山敏雄は発顕還元の原理と名付けてる。

日本語の成り立ちから気づいたというのが面白い。

普通(?)は、表裏一体という言葉からじゃないかしら。もしくは、国語の事業で対義語を学んだ時とか。

てか、それ覚えてるところがすごいな。日記から読み取ったのかな?

中学生の時にみんな気づくと思うから、厨二病っていうと思ってるんだけど(偏見w)、それだけ日本の義務教育が成してるってことなのかもね。

ただ、この敏秋さんの解説には多くの疑問点が残る。

なんだろう、この違和感。

思想を発表しているのではなく、擦り込んでるような書き方してる。

そもそも、その人の考えが真理であるならば哲学は終わるのよ。だから答えは時代によって変わってしまうし、神の創られし宇宙に我々人間は理屈をつけることができず、終わりがないもの。

あくまでも仮説なのよ。

そこが宗教と言われる所以なんだろね。だから丸山敏雄は哲学者ではなく、教育者だったのかしらね。

エネルギー保存の法則!

哲学と物理はなぜか似てます。

なんでだろ?

ちなみに数学と哲学も似てる。

その疑問に気がついたわ。

どれも論理的思考の元、検証実験を繰り返して立証していくものだからかな。

現象から読み解き再現させていく過程も一緒だな。

数学は証明で表すし、物理は答えから式を作るから、厳密には別物だけど、哲学は答えから式(真理)を見出し式から答えを検証する🤔

似てるから哲学は理系に分類してくれよと思った。

にしても

エネルギー保存の法則は、相対性理論の出現でなくなったと勝手に思ってたんだけど違うんだ…

思わずウィキってしまったわ。

いろいろ書いてあったから、沼る前に脱出だ(笑)

発顕還元の原理の応用がみんな苦手

なるほど。確かに。

さて。これほど数々の社会問題の基になってる道徳や倫理観のなさは、どう日本は対応していくんだろう。

当然、国は人。日本は民主国家だから、民衆が国なわけなので、個の意識が重要なんだけど、すっかり削がれてしまっているのは国の方針からくる教育なんだよなぁ。

小学校の時「尊敬する人は誰ですか?」という問題に、「いません」って思ったもん。

てか、尊敬ってナンデスカって話からですよ。

まして、「両親です」とかベストアンサーを先生は期待していたのかと思うほど、尊敬という概念についての説明なかったもんね。

学ばなわからん。

私は特に理解できないものに対してものすごい疑問が強かったからスルーできないタイプだったし(こどもの頃からそうなの)、自分でいうのもなんだけど、特殊なだけで勉強ができたわけではなかったしね。勉強の仕方教わってないもん。学校なのに。予習復習してくださいって言われても、予習復習のやり方を教わってないのにいうんだから恐ろしいわって思ってたくらいだから。

私の学生時代に生徒の権利なんてものはなかったけど、尊敬できる先生とも出会ってないし、愛を感じたこともない。

まさに、いまの学校の問題の根源は、これまでの先生の生徒に対する愛のなさが招いた発顕還元の原理よ。

「尊敬される先生になれなくてもいい。せめて信用される大人になりなさい。」

娘の高校の先生に私が言った言葉。いま思い返しても的を得てると思う。

まずは、先生が大人として見本を示せ。同じ大人として言っている。尊敬しろというのがおかしい。尊敬はされるものだ。強要するものではない。まずはそこから恥を知れ。

なにを改めればいいのか。

手本となる先生がいなければ、自らが手本となればいい。そうしている先生もたくさんいる。ただ、学校ひとつ見ると多くはない。ひとりいたらいい。その人を手本とすればいい。

素敵だと思う先生を真似てほしい。

モンスターペアレンツなんておかしな奴らがいるから、まともな保護者が偏見で問題を終わらせられていて迷惑してるのよ。

先生はただのサラリーマンではないんです。聖職なんです。

人の人生に関与し、人を育てていることに誇りを持ちなさい。

素晴らしい仕事に就いていることに、誇りをもってください。

先生社会も理不尽なことが続いているとと思います。だけど、生徒は先生を尊敬したいと思っています。

期待に沿っていないから、幻滅し、大人をバカにします。

先生という存在に対して生徒の希望に応えることができるのは、先生だけです。

私のこだわりかもしれない『聖職』について

学校の先生、看護婦は、聖職です。

知らないおじさんに任せれますか?知らないおばさんに看護してもらいたいですか?

聖職についてる人は、正しい知識を人の為に学び、人の為に生業とした人たちです。

自分のために学校の先生や看護婦になる人なんていません。辛い仕事だし、人の人生・命に関わる仕事なんです。

医者が入ってないのはなぜかって、医者は自己の探求のために目指した人が多いから。

そうではない人ももちろんいる!でも少ないと思うよ。性質上。

聖職についてたって人間です。つらい思いをし続ければ心が折れます。曲がります。

だから、こどもや保護者、先生同士に依存し自分を保つのではなく、自分に誇りを持っていいんです。聖職についた自分に誇りを持ってほしいです。

得るために捨てるものは

両手にものを持っていたら、我が子が車にはねられそうになったときに手を伸ばせません。

当たり前のことだけど、そんなこと日常で考えれないのが現実でしょうね。そして、我が子の命と引き換えに学ぶんでしょうね。

昔、携帯電話の電波が脳に悪影響だからと持たないママがいました。こどもが事故にあった時、出かけていたため病院から電話が取れず、こどもの助けを呼ぶ声も聞こえず亡くなったとしたら、この人はどう後悔するんだろうと思いました。

在るものを当然とするのが自然か?私にしてみれば大切なものを大切にしていない方が不自然だ。

七つの原理には「大窮地に陥ったときの心得」と書かれている。

もう遅いのよ。その時には。

自分にとって最も大切なものがなにか、きちんと考えた方がいい。

私にとって、こどもの命に代わるものはなにひとつない。

お金も、家も、人も、自分の命も、こどもの命を守るためなら本心から言える。要らないと何度も思ってきた。

何度も怖い目にあったし、死んでもいいと思ってきた。

命さえあれば、この先なにがあっても変えることができると思う。命さえあればというのは、母のエゴかもしれない。それでも、希望はある。

この命への意識が薄い人が多いのかも知れない。

毎日事件に巻き込まれて死ぬ人の中に、どうして自分の大切な人は含まれないと思えるの?

毎日何百人の人が事故で亡くなってるのに、どうして今日も大切な人が帰って来れると思えるの?

思い詰めるほど怖がることではない。

だけど、明日失ってもいいようにと思うと、親への心根も変わるよ。人への接し方も変わる。大切な人を大切にできるようになる。

こんなこと考えたくないけどね、向き合うことで守れるものがある。

それが親になるということです。

できたから産んだとかいう人はね、人じゃなくて動物。脳を使い考え行動することができるから人なんだよ。

こどもが笑顔で暮らせるなら尚いい。毎日ケンカする姿を見せ、憂いた日々を送るくらいなら離婚したほうがこどもの為になる。がんばるママの姿を見せれば、こどもは尊敬する人を母と選ぶ。

大人のしての誇りを忘れてしまうから、こどもは大人への期待を裏切られ、それを態度や行動に表すようになる。

見本を示せ。手本となれ。大人として、誇りをもって胸張って生きるにはどうすればいいのか、考えてみてほしい。

一生懸命な人は、応援してくれる人が必ず現れる。オリンピックのようにね。

ちなみに。

どんなにお金があっても、豪華な家に住んでも、棺桶まではもっていけません。

顕界にあるものは全てこの世の借り物。

それを用いてどれだけ自分に正直に生き、笑顔で過ごせたかが重要なんです。当たり前のことなのに、知らない人多すぎじゃない?

自分に正直に生きれるなら、笑顔で過ごせるなら、他になにも要らないじゃんね。

自分の生きたいように生き、たくさん笑って、自分の人生が終わる時に「人生に一片の食いなし!」って右手上げて叫ぶことが最高の人生だよ。

私はそう思うから、どんなにお気に入りな物もお金も人も、この世の借り物だから執着はしない。

物は生きてるから大切にするし、私のが一番可愛いと思ってお手入れしてるけど、手離れする時が来たらその時はその時なんだと思うよ。

気力と体力を得るには

どちらももってねぇwwwww

『躁うつ』って言われるけどチガイマスwww 素直に自分を出してるだけですwww

振り回しててゴメンナサイwwwwwww

世の中はシンプルです。これが私の信条なんですが、よく忘れます。忘れると気力がなくなり、体力も落ちます。

気力はなんとか復活することがあっても、体力は落ちたままなので、トレーニングしないといけませんw

というわけで、

気力体力を得るにはやっぱ運動です!

しかも簡単な運動を1日に最低1回、できたら朝晩2回!

移動時間も含め、時間が長かったりすると忙しさでできなくなるので、自宅トレサイコー!ィェーィ!

そしてこれをルーチンにすれば、自信もついて一石二鳥ー!ィェーィ!

・・・忘れるんだって。よくこれ。。。

だから、日常的に同じルーチン繰り返す日々が必要なんだって。。

非日常的な生活は要らないんだって。。。

それでルーチン外れちゃって、何度も忘れてきたんだから。。。😢

これを発顕還元の原理で表すと、、、栞でいう『本を忘れず、末を乱さず(反始慎終)』だそうな🤔

深いな。。。

まとめ

発顕還元の原理は、二元論から始まったけど、腑に落ちない解釈が多い。

たぶん言いたいことが伝わってないだけだとは思うけど、なんか無理矢理もっていってるように見えてしまう。

確かにり良い行いをすると良い結果が帰ってくると時間を置いてる場合はわかりにくい。

松下幸之助の「君は運はいいかね」という問いに、私なら「運が良かったと感じることはあまりありません。ただ、親の元に生まれてきたのは恵まれていたと思います。」と答えてしまう。不採用か?(笑)

そもそも、私は運がいいとか悪いとかいう表現が好きじゃない。

全てが因果応報の元に成り立ってると思ってるから、いやなことがあれば自分の行いを考えるきっかけになるし(落ちてると考えれないけど)、いいことがあればありがたい〜!って感謝するし、神はサイコロ振らねえと思ってる。

全てが計算された元に成り立ってると(勝手に)思ってるから。

手抜きした作品は納得いかなくて当然だし、暴飲暴食すれば健康崩すのは当たり前。財布拾ったらラッキーかって、困ってる人がいるだろうと交番に届けなきゃいけなくなるからラッキーではないし😂

世論と真正面に向き合うと操作された世論に心を騙されてしまうから見ないとか、自分という人間の特性を理解し、制御していくのが吉だと思います。

私、性善説派なので。みんなもがんばれ(笑)